貧困は人格の欠如ではなく金銭の欠乏である
ん~~名言!!(ここ参照)
本当にその通りだなと思います。
大体、人がお金を盗むときの心理プロセスって
「お金が無いから盗もう、しょうがない」
だと思うんですよね。
経済的余裕があるのに強盗を楽しむ人はいったん置いといてW
だいたい貧相な行動をするのは貧しい人だったりします。
更に本質を言えば余裕がない人ですね。この場合経済的余裕がない人です。
世の中金ではないといいますが金があるといいことばかりです。少なくとも誰からも金を奪う必要はなくなります。
よく「金と愛どちらが大事か?」と問う方がいますがこんなの「腕と足どちらが大切か?」と問うているようなものです。
愛が無ければ寂しいですし、金がなければ不便です。
ここから本題なんですが日本は結構危ない状況なんじゃないかって話です。
現状、日本は安全な国ではありますが、この安全も長くは続かないかもしれません。
問題になってくるのは貧困格差です。国や人種に関係なく貧困世帯が増えてくると犯罪率ってのは上がります。
経済的余裕がなくなると精神的余裕がなくなります。
余裕が無いとき、人間の判断力やモラルと言うものは大幅に下がります。
やがて社会や周りの人間が敵に見え、犯罪を犯してしまうのです。これが貧困です。
そしてもう一つ。
日本ってのは本当に珍しい国でして、経済的余裕があれど精神的余裕が削られる環境が用意されています。
それは労働環境です。
国際労働機関第1回総会で8時間労働と言うものが定められてからほぼ100年が経つにもかかわらず
未だに長時間労働による過労死者がいるのが現状です。
左を見れば過労死、右を見れば過労死です。
これは異常事態ですよ。
ここを見れば分かりますがひどい状況ですよ。
僕ら日本人は一体誰の為に働いているのでしょうか?
誰の為に生きているのでしょうか?
客のためですか?会社の為ですか?国の為ですか?
この問いに「自分のため」と答えれば「思いやりがない」「自分勝手だ」と返答が来るのが今の日本です。
では、過労死することは思いやり故なのでしょうか?
過労死することは国の為になるのでしょうか?
なりませんよ?
過労死した電通の社員は思いやりを感じていた、または他人に感じさせていたと思いますか?
では、新国立競技場の建設工事に関わり過労死した人は?
そこに思いやりなんて無かったですし、国の為にもなってませんよ。
何百万円も払い数年間勉学に励み、大学を卒業した若者がたった数年で自殺してしまうようなこの労働環境のどこに思いやりを感じるのでしょうか?
過労死ってのは過労が原因で自殺した人を中心に議論されることが多いですが、過労が原因で他殺をした人ってのもいると思います。
精神的余裕ってのは本当に大切で
それが無ければ人は何をするかわかりません。
甘えではなく自然なことです。
精神的余裕とは持っておくといいものではなく持っておくべきものです。
だから余裕のある社会を作ることはごく当然のことだと思うんですよね。
しかし、どうやら日本人の大半はそう思っていらっしゃらないようでw
ほんのり絶望しています。
暇な時間ってのは大切だと思うんですけどねぇw。
どうやら日本の方々は暇=無駄と考えていらっしゃるw
だから「無駄を省こう」ってなると「暇を省こう」ってこうなるわけですね。悲しいです。
本当に悲しいですね。堂々と日本は最高だ!と言わせてくれるような国になることを願います。
この労働改革の波が本当に日本の労働環境を改革してくれることを願います。
社会を形成しているのは僕ら一人一人ですし、労働環境を形成しているのも僕ら一人一人です。
社会の変化を待っていては何も変わらない。だって僕たち自身が社会ですからね。
私はこれから生まれてくる世代にこんなクソみたいな環境を受け継がせたくないです。絶対に嫌です。
「生まれたくなかった」なんて言わせてはならない。
まだ希望は失ってはならない(@_@‘)