平等は悪
今に始まったことではないが、日本の平等主義にはいい加減反吐が出る。
それぞれ得意なことを伸ばし、それぞれが求める規模の成功や幸せをつかめるなら、それこそ生き易い社会というものではないか?
ここで日本社会全体に着目するとあまりにも議題が複雑で壮大なものになってしまう為、今回は日本の教育体制に着目して話そう。
まず、導入して欲しいのは「飛び級制度」だ、実は日本でも大学に飛び級する方法はあるが、あまりにも知名度は低く限られた方法である。
私が導入して欲しい教育制度はもっとオープンな飛び級制度である。
私は4年ほど海外留学していて、「おっこれいいな」と思ったシステムが いくつかあります。その一つがコロンビアの一校の学校システムで、名づけるならば「年俸制教育制度」とかですかね。
説明させて頂くと、始業式から最初の一週間にその年それぞれの教科やクラスの担当になった先生方が「今年の試験項目」を全部出しちゃうんですねW
で、その後教師達が何をするかって言うと何もしないんです。もちろん、生徒が質問すれば答えますし、お勧めの参考書とか教えてくれたりします。
基本的に机に座ってるだけ!たまに気分で授業もしたりするんですけどね。
テストはどうするかって言うと、各々の生徒がテストを受けたいタイミングで教師に「これのテスト受けたいです」って申請するんですね。
その後、教師が予定を合わせて申請した生徒たちだけに小規模テストを行うって感じです。
これの何が素晴らしいかってそれぞれの生徒が自分のタイミングで受けたいテストを受けられるところなんですね。
前々から言っていますが自主的に何かをするって本当に強いんですよ。
実力も身につきやすいです。
なので、1日に3つもテストを受ける生徒もいれば、最初の半年何もせずに残された6ヶ月で集中的にに何百回もテストを受ける生徒もいます。
中には本当に進んでいる学校があって、教科ごとに学年を別にできる学校とかがあったんですよ。つまり、「今は国語が中3で数学が高2レベルです」って生徒もいるわけです。
しかし、この制度には問題があって、じゃあ勉強もテストもしなかった生徒はどうなるかって言うと留年するんです。
私の場合、実際コロンビアで9才で高校1年生になった方や
19歳で中学2年生の方と合って話をしたことがあります。
上ではこの部分が問題点だ、とは言いましたが私は特に問題だとは思っていません。
ここが私の教育に対する考えと日本の教育に対する考えが対立する部分です。
私はみんな平等に平等の知識をつけるって考え方のどこがいいのかさっぱり わからないわけですね。
それぞれが望む知識をつけていけばいいんじゃないかとそう思うわけですよ。
まぁ、コロンビアの教育システムの丸パクリをしろってわけではなくて、単純にもっとオープンな飛び級制度を入れてって話ですね。
みんな平等に扱えば みんな幸せになるなんて馬鹿げた考えは捨て、もっとポジティブに差を認め合う社会にしましょうよ。
飛び級制度は本当にいいと思いますよ。
優秀な生徒が回りのレベルに合わせる必要が無くなるわけですからね。
日本のゴミみたいな年功序列を打破する一手にもなるんじゃないでしょうか?(@_@‘)